将棋ソフトと将棋研究ブロガー

 本記事は、駆け出し序盤研究ブロガーの戯言です。とはいえ、それなりにいろいろなものを見てきたつもりです。参考にしていただければ幸いです。
 なお、将棋を知っている方向けです。また有段レベルの知識や将棋ソフトが将棋の戦術に与えた影響、さらにちょっと将棋ブログまで知っていると、より一層楽しめるかと思います。

 近年になって恐ろしいスピードで進化し、とうに人間の実力を超えた将棋ソフトについて、様々な意見がかわされています。中には、人間の将棋から個性がなくなる、面白さがなくなるなど、悲観的な意見も多く見受けられます。しかし、私はそうは思いません。すなわち、人間が正しい認識を持てば、将棋ソフトは人間が使いこなす便利なツールになり、将棋はこれからも楽しまれ続けると思うのです。

 そもそも将棋ソフトはなぜこのような話題を生むのでしょうか。それは、圧倒的な強さが故です。とは言っても、機械の方が計算が得意なのは当たり前で、詰将棋力、あるいは終盤力で人間より優るのは全く違和感なく受け入れられることだと思います。問題は、将棋ソフトの序中盤で示す指し手が今までの常識を覆すようなものばかりだったということです。

 例を挙げてみましょう。具体的には、角換わり▲4五桂速攻、角換わり▲4八金▲2九飛型、対矢倉左美濃急戦。全体的な影響では、居飛車左美濃の有力さなど。いずれも、今まで考えられていなかった、あるいは切り捨てられてきたもので、人間が作り上げてきた常識を覆すものばかりです。そして、このような常識を覆すような指し手ばかりなのに、無類の強さを誇る。これによって将棋ソフトは、(もちろん人間でないからという理由も含めて)得体が知れず、誰にも想像できない領域へと達したものと認識、すなわち神格化されてきました。

 では、将棋ソフトは本当に神なのでしょうか?得体の知れないものなのでしょうか?
 答えはNOです。確かに将棋ソフトは常識を覆しました。しかし、これは今まで人間が散々やってきたことではないですか。

 考えてもみてください。
 かつて内藤國雄九段は、横歩取りというみすみす一歩を取らせる一見ありえない戦法を切り拓きました。
 かつて田中寅彦九段は、当時はありえなかった振り飛車に対する穴熊で高勝率を挙げ、穴熊が勝ちやすい戦法であることを示しました。
 かつて藤井猛九段は、左美濃や穴熊など玉の堅さを目指す居飛車に対し、玉を囲わず一気に攻めかかるという全くもって斬新な構想で、藤井システムの時代を築きました。
 さらに藤井猛九段は、序盤で手損してはいけないという常識を覆し、あえて手損してその陣形の低さを活かして戦う角交換振り飛車を確立しました。

 有名所を挙げましたが、升田式石田流やスーパー四間飛車、ゴキゲン中飛車に中飛車左穴熊…積み重ねられてきた工夫を数えれば、枚挙にいとまがありません。このように、将棋の進化の歴史は、常識を覆す歴史なのです。そして、これらの人類の研鑽は、定跡という形で今に受け継がれています。

 ここで、将棋ソフトに目を戻します。将棋ソフトが挙げてきた功績は上に記しました。ですが、人類の積み重ねてきた功績を見たあとだと、そんなに凄く感じますか?
 そう、将棋ソフトは数々の常識を覆してきました。しかしそれ自体は、人類が成し遂げてきたことと何ら変わりないのです。

 ですが、こんなに短期間に様々な手が生まれて、いつか将棋に結論が出てしまうのではないか。もちろんそんな心配が無用なことは歴史に尋ねればわかります。
 横歩取りは後手も戦えるとされましたが、現在まで、数々の流行を経ながらも双方互角に戦っています。振り飛車に対する穴熊は当時高勝率を挙げましたが、振り飛車の対策も進み簡単に勝てるものではなくなっていきました。その代表格の藤井システムも、数々の対策が講じられ、飯島流、ミレニアムが誕生するなどの広がりを経て結局は穴熊を目指しても簡単に潰されるとはされていません。角交換振り飛車の思想は様々に応用されていますが、もちろん居飛車が簡単に屈するということにはなっていません。
 将棋の進化は覆す歴史です。ただそれが起こるたびに、その思想は反発されつつも受け入れられ、また対策が練られ、また新たな可能性が広がりと、将棋というものの容易でなさ、深さを見せつけられる結果となります。
 そして、将棋ソフトの近年の覆しの連続にも同様に、それが繰り返されるのではないでしょうか。
 角換わり▲4五桂は、今では後手が正しく対応すれば一方的に潰されることはありません。▲4八金▲2九飛型も、簡単に結論が出ることはなく、様々な形が試されています。対矢倉左美濃も、今では攻めている方が勝ちやすいといった程度の認識です。五手目▲7七銀として、昔の形に戻る将棋も増えてきています。
 将棋というものは不思議なことにそんなに単純なものではありません。近年、将棋ソフトによって新しい思想が次々と出てきました。ですが、将棋ソフトは神ではありません。その思想は次第に受け入れられ、常識とされ、定跡となり、そしてまた新たな思想が出てくる。このように歴史は繰り返すのです。

 将棋ソフトの意義は、神の降臨ではありません。それはたった一つ、将棋の進化を、新たな思想が生まれ、整備されるのを繰り返す、その速さを格段に加速させたことにあります。そしてこれが、とある誤解、将棋が「知ってた者勝ち」になるのでは、という誤解の原因となっているものです。
 例えば将棋ソフトがもたらした角換わり▲4五桂の思想は、藤井システムに遠大さという点ではるかに劣ります。ソフトは藤井システムを評価できても、藤井システムを0から生み出すのは難しいでしょう。発想の質では、まだまだ人間は負けていません。
 しかし、それを整備する、また創造する速さはどうでしょうか。藤井システムが恐ろしい構想だったとはいえ、その後年単位で、プロ棋士らが総力を挙げてその成否を求め続けました。しかし、当時今ある将棋ソフトがあれば、今ある居飛車の対策が簡単に求められたことは想像に難くないでしょう。ただ、飯島流やミレニアムは生まれなかったかもしれませんが…。
 さて、勘違いしやすいのはここです。現代は、研究が進むのが早い。だから、少し前までプロでよく見た戦型が水面下で潰され、いつの間にか消えている。そこで私たちはこう思います。「また知ってる者勝ちが増えた」と。
 もちろん今までもこういうことはありましたが、今までこの溝を埋めてきたのがプロの解説、つまり棋書でした。つまり、プロが生み出した様々な工夫は、定跡となり、定跡書という形で皆が見られるように公表されました。これで、きちんと勉強していれば十分な知識を得ることができました。
 しかし、今は違います。工夫や思想を消化し定跡にするのは簡単になり、それが定跡書になるまで待つことはできなくなりました。定跡書というのは書くのに十分準備が必要で、この時代の流れになじむのは難しいのです。そしてそこで皆が見られるように公表することが、フットワークの軽い将棋ブロガーの役割であるべきだと思うのです。

 いかがだったでしょうか。長々と書きましたが結局何が言いたかったのかというと、序盤研究ブロガーとしてこれから頑張っていきますということです。そのうえで、私の考え方をはっきりさせておきました。これからも当ブログ、および様々なツールを活用し、将棋を楽しんでいただければ幸いです。

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